金とは何か

「金」とはなにか。多分この答えは、人によって多少の違いがある。

 

大半の人にとって「金」とは自分の労働の対価だ。あるいは昔なら「嫌な仕事に従事して得る我慢料」なんて言い回しもあった。

 

生活に必要なもの、という考えも主流だろう。お金がなければやれないことはたくさんある。けれどもその一方で、お金があってもやれないことだってあることも、心のどこかでは分かっている。

 

お金さえあれば幸せになれる、という考え方だってあることは知っている。

わたしは世間一般でいる「金と自由な時間を手に入れた」自由人みたいな人とたくさん繋がっているから、残念ながら「お金さえあれば幸せ」というのは嘘だということを知ってしまっているのだが。

(ちなみに年収1000万円までは、給料が上がるのと幸福度は比例する、という研究データがあるらしい)

 

ここまでは割と主流の考えであり、同時に一番レベルの低い考え方になるだろう。

 

 

 

ここから心のレベルが上がると、「金」とは「感謝を示す道具」になる。

誰かにお世話になったから、お礼の品を贈る。

誰かにめでたい出来事が起きたから、共に祝うために使う。

誰かを喜ばせたくて、そのために必要な場所や道具を用意するために使う。

 

書いているだけでほほえましいけれども、この辺りならばまだ比較的イメージはつきやすいだろう。

 

 

 

ここから更にレベルが上がると、「金」とは「投票券」の役割を持ち始める。

誰かが頑張っている。正直、そのレベルはまだまだだけど、相手の頑張りと将来性を見込んでお金を出す。

買うかどうか悩ましいものだけれども、せっかくだから応援の意味も込めて商品を買う。

究極的には、投資や商品購入ではなく「寄付」という形になってきたりする。

見返りは求めず、ただ応援したい、という気持ちでお金を出すのだ。

 

 

 

 

また別の見方をすれば、お金には「労働の対価」という側面がある。

働き方は多様化しており、正直に言えば汗水たらして肉体労働をしなくても、一個人で不労所得を得る方法が随分たくさん考えられてきている。

そこには一定のルールなどが存在するが、要は「あなたはこれだけ頑張ったのだから」という行動に対して受け取るものだ。

これは裏を返せば、労働収入だろうが不労所得だろうが、何らかの理由で「労働」ができなくなったらその瞬間に収入がなくなってしまう、というリスクがある。

これは今一番世界でメジャーな考え方であり、それ故に誰もがこのリスクに対する不安を持ち合わせている。

 

けれども昔の日本(具体的に言えば明治以前)には、「生活の保障」という考えがあったらしい、というのを本で知った。

昔は丁稚奉公などがあるのが普通だったが、要は従業員として預かった以上、その商売の主人とおかみからすれば家族同然だった。

家族なのだから、働けなくなったり使えないからと「ハイ、サヨナラ」と切り捨てるなんて冷たいことはしない。何かしら仕事を与え、立派に育つよう目をかけ、生活はしていけるように面倒を見る。そのための金、という考えがあったらしい。

 

この考えを採用し、圧倒的な少人数で比類無き結果を出し続けたのが、「海賊と呼ばれた男」のモデルになった出光佐三だ。

彼は独特の哲学から油売り業を生業とし、奇抜な手法で利権を持った大手と対等に戦い続けてきた手法が「海賊」と呼ばれるゆえんになった。

 

彼は「人の世界」と「物の世界」という考えを採用していた。

そして自身の経営は「人主体」の人の世界に根を下ろした経営をしていた。そこで採用していた考えが「生活の保障」だった。

 

今の世の中にはない、古くて新しい考え方。

「物の世界」主体の現代で採用されている「労働の対価」が行き詰まりを見せている今、この「生活の保障」という考え方をもう一度取り入れるべきなのだろう。