役割を思い、考える

わたしは「波瀾万丈の人生」を送っているな、と思うことが時々ある。
高校までは普通の学歴だが、社会に出てからは「普通」とは程遠い職歴を刻んできた。

わたし自身が普通を好まなかったのがひとつめの理由。
「普通」で生きていたら、15年もすれば生きてはいけない世の中になる、と直感的に気付いてしまったのがふたつめの理由だ。

この気付きを得たのが15年ほど前だから、あの頃予想した時代が今、やってきていることになる。
当時の予想と実際に来た世の中を見比べてみると、わたしの直感は実用できるくらいには使えるらしい、ということがよく分かる。

わたしは15年前の時点で、企業に所属したら生きていけない時代になる。だから個人で稼ぐ力を身に付けていかなければならない時代が来ると予想していた。
勝ち組はますます勝っていき、負け組は更に落ちぶれていく。
けれども勝ち組だってずっと勝っている訳ではない。どこかで転落すればそれで終わる時代になる、と。

実際それから15年経ってみると「お金ではない価値観」「断捨離」「スローライフ」などの人間本位に戻ろうとする流れが出てきた。それは完全に予想外だった。
だからその分だけ、未来に希望が繋がっている、と感じている。



わたしはどうか。
15年前、社会人になる前から「正社員になったら将来詰む」と悟り、自分でその解決の道を探ってずっと勉強を続けてきた。
しかしそれらは結局勉強で止まり(実践にまで深く踏み込めなかったのだ)、大きく大きく回りながら「どう生きれば良いのか」を軸に、実に多くの分野で勉強を重ねてきた。

社会学、経済、経営、ロゴデザイン、広告デザイン、キャッチコピー。
人間心理学、哲学、意識の構造。
宗教。自然。宇宙。社会問題。

スポーツとゴシップと芸能関係以外なら、大抵の話はできるのではないかと思えるほど、様々な勉強をしてきた。

そして趣味も仕事も結局は全てこの「どう生きるか」という問いに結びついていたように思う。

こんな生き方など、親も兄弟も親戚だって理解などしてはくれない。
33にもなって相変わらず心配も迷惑もかけ通しだ。



それでも、こんな生き方をずっとしてきて、気付けば何十年と苦労を重ねて同じ場所生きてきた人生の先輩方よりも多くを学び、知り、悟りを得るところまでたどり着いた。

きっと同じルートを他の人が通ることはできないだろう。
ここに至るまで、多くの人が脱落するであろう「人生の谷間」を幾度となく越えてきたからだ。
そして他の人がそんな同じルートを通る必要もないと思っている。わたしがそういうルートを通って今この場所に立つのは、わたしにそのような役割を与えられていたからだと思っているからだ。



その経緯を振り返って、思う。
FBで所属するグループを眺めていたら、面白いことに「人生は楽しむほどに好転する」という天国の上層部の住人グループと、「この世は辛いことばかり」という地獄の下層部の住人グループが目立つように思えた。

そしてそのどちらも、今のわたしに繋がっていたりする。憧れで所属しているのではなく、きちんと感覚をそこに合わせられる、という意味だ。

そこを考えると、自分に与えられた役割の発揮方法が見えそうな気がしてくる。
「わたしがこの時代にこんな考え方をしながら生きているのには意味がある」。そう、はっきり思えるようになった。