クソババアに対する後悔

明日はクリスマスイブだ。

好きなケーキ屋さんでホールケーキを買った、とうっかり母に話したことから、うちでクリスマスパーティーをやることになった事を今更後悔している。

実家にいた時、そこに安息はなかった。
常に母親の立てる物音を気にして、母が部屋に近付いてきたら全身で警戒した。
唯一、自分の部屋だけは勝手に入らない、というルールを設けて親が守っていたから、実家に居続けることができたが、ある日母がこれを破ったので、私は母が出かけてる隙を見て荷物をまとめ、とりあえずホテルの部屋を押さえてそこに逃げ込んだ。

そこから丸一年以上、家族には頑なに住まいを明かさなかった。もちろん正月も帰らなかった。

そんな経緯から現在は実家を出て一人暮らしをしている。
どうしても住みたい場所が実家の近くにあるので、残念なことに実家の近所に住む形になっている。
実家まで歩いて20分くらいの距離だ。

そんな母と、この夏に再会した。そして大丈夫そうだったので、交流を再開した。



そんな気の緩みが災いした。
ケーキをホールで買った。クリスマスなのだから当たり前だ。一緒に食べる相手など居ないが、「一人でケーキをワンホール食べる」という子どもが持つ夢を実現しようと意気込んでいた(そしてそれができる位上質で軽い口当たりのケーキなのだ)。

何故かそのケーキを母とシェアすることになり、それなら、と我が家でクリスマスパーティーをすることになった。

実家でやるならもれなく、母の作った手料理を食べさせられるからだ。
料理は材料や調味料ももちろん大事だが、案外影響が大きいのが「空間力」と「作り手の調子」だったりする。

材料はともかく、調味料・空間力・作り手の調子、全てにおいて我が家の方がはるかに条件が良い。
そして母の手料理は不味くはないが、食べればもれなく気の利いたコメントを求められ、疲れるから食べたくないのだ。あと調味料が良くないから体への負担が半端ない。

そんな理由で我が家でのパーティーを切り出した。食材は母親持ち、調理と場所の提供は私持ち。
どう考えても労力的に割に合わないのは、まあいい。調理は大好きだから苦にならない。

問題は、「あのクソババアを家に呼ぶのか」ということ。今日会ったら非常に不幸なオーラを出していた。

あのオーラをうちに呼び込むのか……と酷く後悔した。

そして今から対策を考える。ドレスコードを決めて、レストラン並みのサービスを提供して、レストラン並みの金を取ろうか。

正直、それでも全く問題ないレベルの料理を出せるし、準備をしている。
(最近ほとんど外食しないのは、飲食店で提供されるものの大半が口に合わなくなったからだ)

そうすれば母の不幸オーラを払拭し、料理に「空間」と「サービス」という付加価値を付けた分の正当な価値をお金で受け取れる。
「当日の朝、母に言う」という点を除いて全く問題がなかったりする。

それで断られて私が失うのは、あの美味しそうなワインを飲む機会だけだ。
こうして書きながら「良いかもしれない」と思えてきた。