衝撃過ぎて震えた日
今日はニュースレターの原稿を書いていた。
その中に「お金や社会や経済の仕組みといった、普通は知らないことをたくさん学んで価値観がぶっ壊れた」とあった。
この言葉がとにかく衝撃だった。
わたしは昔から人と接するのが苦手で、とにかく一人で過ごすことが多かった。
理由は二つ。わたしがひとつの物事を深掘りするように考えていくタイプで周囲とはとても話が合わなかったから。そして両親がそんなわたしと向き合うことなく、なあなあで対処し続けたからだ。(今になって分かるのは、そもそも両親にはそこまで物事を深掘りして考えるわたしとまともに向き合うためにあらゆるものが足りなかったという事。まあ仕方ない事だったと思う)
そうなると、話し相手のいないわたしの思考は暴走する。学校の授業で習ったことを土台にして、ジャンル不問で好きなように考えを深めていくことを楽しんだ。
例えば、中世ヨーロッパの文化がよくマンガのモチーフとされているが、どこに共通項があるのか、どんな風に当時の人間が捉え、それを作者はどう解釈しているのか。
まあこれは比較的簡単な例だったりする(笑)。時には戦時中の非人道的な実験から、被験者の感覚や心理をインストールしてみたり、それを観察する科学者達の感覚や思考をインストールして遊んでいた。
そんなことを続けていると、学校教育を学ぶ意味を段々と理解していくのだ。つまりこうやって思考を深めていくことで、過去の歴史や今に続く文化の流れを読み、その因果が未来にどう影響していくのかを知る事ができる。
平たく言えば「予知能力」みたいなものが目覚めてくる。
わたしはこの予知能力によって、そう遠くない将来、いくつかの大きなターニングポイントを迎えることを予測した。
ひとつは、サラリーマンでいる限り間違いなく定年後は生活が成り立たなくなること。老後に向けて貯蓄することが大事だと言われ続けていた時代だったが、それはどう考えても間違いだと分かった。けれども周囲の大人達はその事に全く疑問を持たないことが疑問だった。(後に大衆洗脳ロジックが世の中に溢れていることを知る)
もう一つは、自分が大人になって暫くしたら、人口が一気に減るブレイクポイントが来るということ。老人が寿命で次々と亡くなり、年金の若者負担がどうのこうの、政治がへの影響がどうのこうのと言われる時期が来るのだ。(最近の人口推移を知らないから正確には分からないが、2030年くらいに来ると思ってる)そしてその時になってマスコミは手のひらを返したかのように政府(多分自民党だな)を叩き出す事になる。
問題になるのはずっと政治家が手厚くし続けていた老人に対する政策。老人が一気に減ることでそれらの政策があまり意味を成さなくなり、同時に若者の貧困が相当深刻になっている。そこをきっとマスコミは叩くことになる。
「なぜ政府はあの時若者支援に乗り出さなかったのか」「もしもあの時、老人福祉ではなく若者支援に乗り出していれば今の事態を避けられていたのに」「どこそこの国では、若者への支援を手厚くする政策を採っています。よく考えたらこれって当たり前の事ですよね。この国の未来を担うのは若者なんだから。私でも分かるのに……どうして政府はこんな当たり前のことをやろうとしなかったんでしょうか」などなど。
書いていて気付いた。こんな時代が来たとき、労働人口の待遇は真っ二つに割れることになる。稼ぐ力を身に付けて生活に困らない層と、働けど働けど、年々待遇や条件が悪くなって生きるのが辛くなる層と。
ちなみに生活に困らない層も内訳を見ると二分される。いつ貧困層に落ちるかと不安を抱えながら生きている人と、本当に豊かさを手に入れて不安からも解放されている層と。
まあまあ、話を戻そう。
こんなことに気付いた以上、じっとしていられない。
わたしは早速、様々な勉強を始めた。お金の勉強、社会の仕組み、人間心理学、広告、マーケティング、経済や経営学、優秀なビジネスマンの仕事スキル、自然科学、スピリチュアル、潜在意識の活用法、などなど。多分他にも思い出せないだけで勉強してる。
まあ、ぶっちゃけ誰もがこういう事、やってるものだと思ってたよね。
人と関わって深く話す事自体が少なかったから気付かなかったけれど。みんな友人と話すときはそういう話題を避けているものか、私が話す人たちがぽかんとするのはこういう事をあまり学んでいない一部の例外的な人たちなのだと思ってた。
けどよくよく考え直すと、こういう経営や経済やらの話で盛り上がれた人自体が人生の中で数えるほどしかいないわwww
それもそのはず。ほとんどの人が「自意識」をデフォルトで持っていて、それが当たり前すぎて呼吸するかの如く「俺すげぇ奴だから。褒めろ称えろ尊敬しろ」と俺様教を布教しようと主張してくるのだ。
だから大した事をしていないのに頑張りだけをやたらと主張し、その一方でどれだけ手を抜くかを必死に考える。そうやって楽して王冠被ったクラゲの如く漂うのがお好きらしい。そしてその生き方しか知らないんだろうなって。それ以外の所を見たら地獄にしか見えないから、必死になって目を背けている。
その感覚には覚えがある。確か高校生くらいの時、得意の思考実験で世界の当時と未来を見渡してみると、どこを見ても地獄しか映らなかった。
何だか逃げ場のないホールに押し込められて、その中で喜劇を演じさせられているような。
その状況から目を背ければ楽だけれど、目を背ければ危険が迫ってもそれに気付かずなすがままになることにも気付いていたから、わたしは活路を探して必死に勉強していたんだ。
……と言うことは、世の中のほとんどの人は中年でも還暦でも下手したらあのレベル止まり、ということか。
そろそろまとめに入ろう。
私が学生時代~20代前半で勉強していた内容はほとんどの人にとって「一生勉強しない内容」であり、けどそこを勉強しないからこそ「不自由さを抱えながら生きざるを得ない現実」に囚われ続けていると言うこと。
この事に気付いたのがとにかく衝撃だった。衝撃過ぎて震えたね。震えた勢いでうっかりこの記事を書き上げてしまったわw