トラウマとはすぐに表れるとは限らない

12月の半ば頃、突然仕事を辞めることになった。

 

原因は、同期のパートや上司から度々受けていたパワハラ

もう抱える仕事量がとっくに限界が来ているにも関わらず、更にやる事を指示され、頑張りが足りないと言われ、手が回っていなければ先にやるようにパートから指示され、やったらやったで至らない所をチクチクと批判だけして「やり直して」と言い放つ。

 

そんな彼女達は、忙しくて自分たちも限界だから仕事は手伝えないわ、と言いながら、隙を見ては集まって社員や仕事の悪口をしていた。

しかし彼女たちは、上司の見ている前では一生懸命やっている風を装い、いかにもやれる限り頑張っています、と演技も含めて主張し、わたしを仮想敵に置いて副店長を味方に付け、自分たちが必ずしもやる必要のない仕事は全てこちらに回しているようだった。

 

元々店自体が少々特殊だった。

その業界の最大手企業だが、本部が新業態を企画して作った最初の店舗だった。

日本屈指の大企業だったから店舗数が全国でもかなり多く、その店舗を繋ぐネットワークもマニュアルも指示系統もかなり発達していた。

 

しかしそれらはあくまでこれまでの、規模の大きな店舗向けのものだった。

うちの店は新業態店舗として作られた最初の店舗だったから、データ取得も兼ねていたらしい。

そこにデータからはじき出した人数を配置した結果、通常の店舗にいる「つなぎ役」のスタッフがいない店舗になった。

つまり、必要な部署の人間しかおらず、電話番だとか、品出し専門スタッフといった、比較的責任の軽い仕事の担当者が全く居ない店舗になったのだ。

 

そうなると、それぞれの部署の人間が、本来自分たちの部署でやる必要のない仕事まで受け持つことになる。そうしなければ店が回らないのだ。

 

そうやって生まれた「隙間仕事」は、本来であれば店長が、どこの仕事と割り振るものなのかもしれないが、うちの店はそんな指示は一切なかった。

わたしから店長に何度も相談し、わたしも仕事量が多すぎて手が回っていないこと、これ以上隙間仕事を言われても厳しいことを何度も伝えていた。

店長はその度に、仕事は売り場の人間も裏方の人間も関係なくやるものだ、と言っていた。現実は、売り場担当だったパート達は手が空けば負担の軽い仕事を何となくこなし、隙間仕事に分類される負担がそこそこ以上のものは積極的にこちら(裏方)に回すようになっていた。

 

わたしは唯一の裏方担当だったから、売り場からすれば仕事の内容も持っている量も進捗も見えにくい。それを了承の上で、副店長は「頑張っているかどうかは周囲が判断する(=お前は怠けている)」と言い放ち、店長はそんなわたしに「裏方専属で短期バイトを預ける」と言って更に負担を強いてきた。

ギリギリの状態で持ちこたえていた所に、パートの一人がある朝、出勤したら開口一番、前日に自分たちが商品を見つけることに苦労した、ちゃんと管理しろと言ってきたのだ(ちなみにその商品は決して適当に直していたのではなく、規定の場所に時間を作って直しただけだったが、売り場に出すのなら規定の場所に直さず箱ごと置いておいた方が便利だった模様)。

その言葉に心が折れて、翌日から仕事に行けなくなった。

 

そうなる前まで、度々店長にも派遣会社にも限界だということや問題解決のために相談を繰り返していたが、店長は対策を取ろうとせず、逆に彼女達が仕事をさぼるのを正当化してきた。派遣会社は規定に従ってしか動けなかったが、残念ながらタイミングが悪く、退職するなら3ヶ月後ということでその準備に掛かったばかりだった。

 

いつ、このように仕事に行けなくなってもおかしくない状態にも関わらず、副店長が「頑張っているかどうかは周囲が判断する(=お前は怠けている)」と言ったり、店長が更にバイトを預けて負担を掛けてきたのには少々心当たりがあった。

 

プライベートで、わたしは限界を超えるまで平気そうに仕事をしているように見える、と言われたことがあった。

しかし職場でそれを伝えた所、パートの一人があっさりそれを否定。「あなたはどんな状況かかなり顔に出るから分かりやすいよ」と。

そんな彼女が数日後、出勤した直後に心を折ってきたのだ。

 

 

 

店の迷惑になるのは分かっていたし、最悪わたしがこんな形で辞めることになればあの店は年を越せないか、越せても春が来る前に潰れるかもしれないという懸念はあった。

(まあ大手かつ期待を背負った新業態店舗なので、そうなる前に多分本部が助けの人手を寄越すはずだが)

また店の人達が悪い人ではないことは知っているし、彼ら彼女らも大変な状態で余裕がなさ過ぎるから無茶を言ってきていることも理解していた。

 

それでも残念ながら気持ちが持たなかった。

心を折られた日の夜、派遣会社の担当さんに状況を説明したわたしは「すみませんが、わたしはお金よりも自分の命の方が大事です」と言い切った。

これ以上抑うつ状態をこじらせれば、人身事故で度々止まる近隣の線路にいつ飛び込んでもおかしくない状態だったのだと思う。

 

昔、別の仕事で心を折られた時は、既にこのブレーキが掛かる部分を越えていたので(線路ではなかったが)飛び込みを実施して死にかけた。

今回は、そうなる前にブレーキが掛かった状態だった。

 

 

 

わたしが元々自分の感覚を感じにくい人間なので、今回のことも実は文章にして感じる程の悲壮感を感じて仕事をしている訳ではなかった。

それでも、あれから1ヶ月近くが経とうとしてふと振り返る機会が来たとき、つい1ヶ月前まで毎日使っていた路線と駅の名前を調べただけで恐怖感が蘇ってきた。

立派なトラウマに育っているらしい。

 

 

 

人間というのは丈夫にできていて、環境が悪くなれば感覚が鈍くなることで対応するところがある。それは体もしかり、心もしかり。

例えば鼻なんて特にその傾向が強い。多少嫌な匂いが充満していても、それが続くとすぐに慣れてしまう。

現代で言えば環境汚染、化学調味料、電磁波、冷えなど、体の感覚を鈍らせるものはそこら中にあふれている。

 

そうなると、例えば冷えを解消しようと対策すると「却って症状が酷くなった」と感じることが普通に起きる(好転反応と言われる)。それまで感じなかった肩や腰に痛みが生じるようになる。これは別に冷え解消の対策が悪かった訳ではなく、むしろ良くなったから逆に「症状を感じ取ることができるようになった」にすぎない。

この症状を感じることができるから、初めてまっとうな対策が取れるのに、現代ではその症状を見なかったことにして蓋をする治療が主流だったりする。そんなことをすれば更に状態が悪化して体を壊すまでにいってしまうのは、少し考えたら分かる事だと思うのに。

 

何が言いたいかって、今回の「時間を置いたら逆に恐怖が蘇ってきた」というのも同じ理屈なのだと思う。仕事をしていた時は「パワハラを受けるのが当たり前」だったからそういうものだと気持ちを殺していたが、いざ離れてみたら異常事態だったのだと気付くことができたということ。それが時間差で「トラウマ」という形で出てきたのだと思う。

 

今回、仕事に行けなくなる少し前から転職活動を始めていたが、相談した人達が軒並み諸手を挙げて賛成してくれたのが印象的だった。結構な人数に、しかも仕事関係だけでなく全く仕事が絡まない知り合いにまで相談しまくっていたにも関わらず「それは逃げだよ。もうちょっと頑張ってみたら?」と誰一人として言わなかった。

そしていざ仕事を辞めるとなったとき、派遣会社には酷く迷惑をかけたにも関わらず全力でサポートをしてくれた。更に前職の派遣会社の社長さんからも連絡を頂き、仕事を融通して下さるというありがたいお話まで頂いた(別業界のやはり大企業で、パワハラを受けたこの企業よりも仕事内容や給料などの条件は良い物を提示して頂いた)。

結局今回は家の近くで探す、というわたし自身の意向にもっと合った企業とご縁を頂いたのでそのお仕事は断ることになったが、周囲のこの反応から自分は相当悪条件の中、そうとは気付かずに頑張り続けてきていたのではないか、と思った一件だった。