頑張らないから上手くいく。頑張りすぎるから挫折する。
今日、帰って最初にやったことは、ゴミを専用のゴミ捨て場に捨ててくることだった。
次にやったのは、コートを脱いで押し入れに片付けること。そしてそのままカバンも一緒に片付けた。
1週間ほど前に押し入れの整理整頓をして場所を使いやすくカスタマイズして、ようやく習慣になり始めた習慣だ。
押し入れには、コートを掛けられるように突っ張り棒とハンガーを用意している。
そして日常使っている荷物とカバンは、コートの足下に片付けるための「定位置」を用意している。
普段あまり使わないカバンは、そのコートや普段使いのカバンの奥に密かに鎮座している。
実はこの「カバンの定位置」は、普段使っているカバンに必要なスペースよりも一つ分くらい余裕を持って取っている。
こうすることで、例えば何かを買ってきたり、休日にイレギュラーで普段使わないカバンを使ったとしても、この余分なスペースに入れておくことができるからだ。
このシステム自体は、3年くらい前に実家にいるときに思いついたものだった。
「部屋をきれいにする」。ただそれだけで散漫とした意識に集中力が宿り、落ち着くようになるから、と教わったのがきっかけだった。
部屋をきれいにする一番のポイントは「見た目をすっきりさせる」ことだった。
当時は実家の中でも自分の部屋しか自由にできなかった。だから自分の部屋をカスタマイズし、クローゼットの中に、普段使いの荷物を入れておく「定位置」を作ったのだ。
そんなことはすっかり忘れつつも、自分の中でこれは便利だったからいつの間にか習慣となっていた。
今の家に引っ越してからも、部屋をすっきりさせることを第一に暮らしているから当然のごとく継続していた。
それなのに今日、自分が半ば無意識にカバンを片付けて、無駄なものが少ない部屋を眺めて驚いた。
カバンを始め、帰ってきたら荷物を「とりあえず置いておく」定位置がその部屋にはある。片付ける押し入れの脇にあるちょっとしたスペースだ。
カバンを片付ける、なんて大した手間でもないはずなのに、調子が悪い日が続くとこのスペースにはいつの間にか何日もものが置かれたままになる。
買ってきたもの、この「普段使いのカバン置き場」に置くのがふさわしくないものをこの「とりあえずスペース」に置いておき、それぞれの場所に片付けていく。それができなくて、何日も出しっ放しになってしまう。
そうなれば部屋はわずかばかり乱雑になってしまう。すっきりさせたい自分からすればあまり好ましくない部屋になってしまう、ということだ。その乱雑さは当然のように、自分に更なる疲れを与えてくる。
それが今日は全く無かった。「とりあえずスペース」に荷物が一切置かれていない。帰ってきて、普段そこに置いているものをそのまま全て所定の場所に片付けられた。そのことに驚いたのだ、と書いていて気がついた。
すっきりして片付けられた、理想の形に収まった部屋。
そこには自分が好む美意識が感じられて、我ながら心地よい。
同時に「何故、すぐに片付けられたのか」と疑問が湧いてきた。
思い当たったのは「頑張らなかった」ことだな、と。
普段使いのカバンを片付けるなんて、正直いえば大した手間ではない。
押し入れのふすまを開ける。脱いだコートをハンガーにかける。そのままカバンを定位置に直す。以上だ。
頑張る必要なんて全く無い。これを頑張らなければできないのは、それだけエネルギーが落ちている時か、定位置に隙間がなくてすぐに入れられないか、のどちらかだろう。
隙間がないなら、少し頑張って場所を作らねばなるまい。
1週間ほど前にわたしがやったように、押し入れの整理も必要かも知れない。
そういう時は頑張らなければならない。けれども、毎日そうやって頑張り続けないと維持できないようなら、きっとこの「カバンを片付ける」という行為は習慣にならなかったと思う。
頑張るのは、何かを始める「最初」だけ。もしくは途中、定期的に行う「メンテナンス」のタイミング。ここだけ、と決めてしまうのが良いだろう。
最初こそ頑張る。けれども続ける内に、頑張らなくても続けられるように持っていく。
何かを計画するときも同じ。「いつまで頑張るのか」という視点と同時に「どうすれば頑張らなくても続けられるか」を考えて準備するべきかもしれない。
頑張らないから上手くいくのであって、頑張りすぎる、余裕のない状態であれば何かの拍子に調子が悪くなったら、たちまち挫折してしまう。
「一旦始めたらずっと続けさせるのが本当の愛情」というのは出光佐三の言葉であり、自分に対する愛念の祈りの延長なのかもしれない。