あまりにも身勝手すぎる大人の言い分に潰されないでほしい。

大人ってあまりに身勝手すぎる、と今でも感じる事は多い。

子どもの頃は、親から「あれしなさい」「これしなさい」と言われながら、親自身はそれをやらない姿を見て身勝手だと思った。
そこで親自身がやらない、やってない事を指摘すると何故か親自身は免除されるという謎のルールが適用されていた。

親の言い分は「子どもだからやらねばならない」「将来、こうすれば役に立つからやらねばならない」など。
多分、どの家でもやっているごく普通のしつけ答弁だろうと思う。

けれども子どもからすれば堪ったものではない。
真剣に悩んでいる時に、親が適当にあしらおうとしているか、真剣に向き合おうとしているかなんてすぐに分かる。
そしてその判断は、子どもが追い詰められているほどシビアになっていく。

昔、なぜ人は生きていかなければいけないのか分からなかった。
クソみたいにつまらないこの世の中で、生きているだけで辛く、誰からも見放されている感じしかなく、(実際にどう思っていたかはともかく)親ですら自分を要らない存在として扱ってくると感じていて、それでも生きなければいけない理由が分からなかった。

当時、ネットで繋がっていた大人の何人かに聞いたが、いずれも「確かに生きるのは辛いし大変だよね。けどそれでも生きなきゃいけないんだよ」と訳の分からない返事しか貰えなかった。

自分の命に価値がないと感じ、むしろ生きている分だけ周囲に迷惑をかけている負い目を感じ、生きている楽しみも感じられず理由だって分からない。
それでも生きろ、理由は説明しないが生きろと言われるのは、大人が訳の分からない法律で定めただけのあまりに身勝手すぎる言い分ではないか、と思った。
そんなに死んではならない、という法律は重要なのか。理由も説明せず、ただこの地獄のような世界で生きろ。
けれども世の中に迷惑はかけるな。というのはダブルスタンダードを飛び越えて4つくらい矛盾したスタンダードを押し付けられていると感じていた。

だから私は常にその日のタスクに「自殺」を入れていた。

そしてそのタスクを未達成にしておくことで、「今日」という時間を生き延びてきた。
そうしなければ生きられなかった。いつでも死ねる、という思いだけが私を生き延びさせた。

けれども結局、私は自殺した。
それまで調べまくっていたあらゆる医療知識と自殺の知識を総動員して、考えうる限り最も成功率の高い方法で自殺を図った。
だけど死ななかった。ありとあらゆる条件がこれ以上ないほど良い形で揃っていたにも関わらず、だ。



それから数年経ち、あの頃の私が持っていた疑問の多くの答えを手に入れた。
人が生きなければならない理由を大人が答えなかったのは、その答えを大人だって知らないからだ。

人は成長するために生きている。
けれども大人の多くは下手に知恵を付けて、手を抜いて生きるためにその知恵を使っている。だから成長しない。
成長しないから、誰かに「えらいやつ」と思われたいのだ。
だから自分より未熟な子どもに身勝手を言って、命令して、指示に従わせて、それで自分がえらい、と思い込みたいのだ。

これを自意識、といって、これを超えられるかどうかが大人が成長できるかどうかの大きなポイントになる。
そしてほとんどの大人は、この自意識を超えられずに今日まで生きてきてしまった。
だから大人の多くは身勝手なのだ。身勝手を言って自分より弱いものをいじめて、自分はえらいと思い込みたいのだ。

子どもにはただ一つ、これだけ知っていてほしい。

大人も不完全で弱い生き物なのだ。
強がって見せているけれど、実は子どもよりも弱い。そしてその弱さを隠すことばっかり上手くなってしまった。
けれども、弱いながらに自分の子どもや預かった子ども、関わった子どもには何とかかっこつけようと頑張るのだ。
親なんて不完全だらけで未熟なのに、頑張ってきみを育てているんだ。。

だから、そんな大人に完璧を求めないであげてほしい。
大人の言う事なんて聞かなくていい。
大人のやる事を見て、盗んで、従順な「ふり」だけして、上手く利用するなり攻略していけばいい。

大人の機嫌なんて完璧に取らなくていい。大人の不機嫌の犠牲になる必要なんて全くない。
それよりも自分の機嫌を取る方法を身に着けてほしい。

今の大人が生きていた常識が通じない。そんな将来がすぐそこまで来ている。
今の大人の知恵や経験が、君たちの生きる社会ではどんどん通じなくなっていく。

大人の言う事なんて聞く必要はないよ。
大人は完璧に見せかけるのが上手いだけの、弱くて不完全な生き物だ。
成長を捨てた分だけ、下手すれば子どもよりも不完全かもしれない。

けれどもそんな大したことのない大人の中から憧れられる大人を見つけたら、その時はそんな大人についていけばいい。
憧れの大人を追いかけて、真似をするのは楽しいことだから。
そうやって楽しんでいれば、人生って良くなっていく。

一時は死ぬことを選んだ私でさえ、人生が楽しいと思えるようになった。
それはひとえに、憧れの大人を見つけてその憧れに少しでも近づこうと、必死でついていった結果に他ならない。

人生って遊んだもの勝ちだよ。
「遊んでばかりいないで勉強しろ」なんて言われるけれど、立派な大人ほど毎日遊んでる。

「遊んでいる」って、部屋に籠ってテレビゲームばかりやっている、という意味じゃない。
目の前の仕事を、どうやれば楽しくやれるのかを考えて遊びにしてしまうのが上手いんだ。

だから今は、目の前のつまんないことをどう遊びに変えられるか、ゲームにできるかを考えながら生きてみてほしい。
その発想は必ず、これからの人生で役に立ってくれるから。