THE・クソババア

斎藤一人さんの音声を聞いて、自分がうまくいかない原因に母親の存在があることが分かった。

↓そのことを気付かせてくれた動画↓
https://youtu.be/rLoXCosXidc

うちの母親は、わたしが上手くいくと分かりやすく嫉妬する。
自分の気分が悪くなると、家族の空気が悪くなるのも構わずへそを曲げる。

実家にいる時は常に母の物音に注意を払い、できるだけ顔を合わせないように息を潜めて暮らしていた。

実家に安息はなかった。
けど母は周囲からいいように見られたい人だから、必死に「良い家庭」なのだと刷り込んできた。
他の家の悪い所と自分のやっている良いことを比較して自分のやっていることを正当化し、
どこか不満を持てば他の家だってそんなものだと信じ込ませ続けた。

他の家では、テストで良い点を取ればお小遣いが貰えた。
うちでは頑張ってもほめられることもなかった。頑張るのは「当たり前」であり、頑張れないことは即ち無価値だったからだ。

家の手伝いは、長女という理由だけでさせられた。
母曰わく、長女は無償で家事を手伝うのが当然らしい。

その一方で、私の望みが叶えられることはなかった。

母に私の話を聞いてほしい時、決まって言われたのは「今疲れているから後にして」だった。

私が自分の頭をかち割ろうと家の柱に頭をぶつけ続けた時、決まって言われたのは「家が傷むから止めなさい」。もしくは「うるさいから止めなさい」だった。

母からすれば、私のことよりも家(という建物)の方が大事だったのだ。

私の両親は建築士だ。実家はそんな両親がこだわりと予算の兼ね合いを考えてこだわって建てた家だ。
だからそんな「夢のマイホーム」を大切にしたい気持ちがあるのだろう。
その思いが、実の娘よりも勝っていることは実家にいるとき、何度も思い知らされた。

自殺を図ったことがある。
というか、一時的の私は毎日のタスクに「自殺」を織り込み、それを先延ばしにすることで生きていた。

多分、今でもその日のタスクをやり切れないのはこの頃からの名残だ。その日のタスクを毎日やり残したから、今でも私は生きている。
私は毎日、死ぬことを考えていたから生きてこられた。「死ぬのは明日でいいや」と先延ばしにし続けてきたから生きてこられた。

この頃だって親は私に無関心だった。
家事をやるように言い、頑張ってやろうとしたら先回りしてやって無能扱いした。

そのくせ私が親のストレスで過呼吸を起こして倒れれば、自分は無関係だと言って逃げる。
外で倒れても、家からわずか徒歩10分の所に迎えに行くよりも自営の仕事を優先させた。
学校で倒れた時は、車で一時間半かかる道のりを「嫌々」迎えに来た。

自殺未遂が原因で入院した時も義務感で見舞いに来ていた。
私は知っている。母は「周囲から良い母親だ」と思われる時しか動かない。

学校で倒れた時は、私が一人で帰れないと連絡を受けた以上、そこで行かないと「悪い母親」だと学校関係者から思われるから来たに過ぎない。

入院の見舞いに来ていたのも、定期的に来なければ「近所なのにあまり来ない」と病院関係者から思われるから来ていただけだ。義務だったから面会しても会話などない。互いに義務に満ちたつまらない時間を義務的にこなしていたに過ぎなかった。

実家で、親のストレスで倒れた時、自分は無関係だと言って逃げたのは、逃げた所で近所にバレることはなかったからだ。逃げても周囲からの「良い母親」というイメージが傷付かないからに他ならない。

そんな母親に認めて貰うため、私は愚かにも必死で何事も頑張った。
結果、うつ病離人症を発症した。また、何度も自殺を図った(母親はその事にも無関心だったが)。

ちなみに離人症とは、可哀想すぎる自分を受け入れられなくなって、心が「これは自分のことではない」と第三者ポジションを取る症状らしい。
可哀想すぎる自分を他人事と受け止めることで、心を守ろうとする精神状態のこと。私はこれを長年患っていた。

これらの経験から、私は自分が無価値である、という価値観を持っている。
だから能力を生かせない職場、能力と給料が明らかに見合わない職場を転々としてきた。

分かりやすく言えば、私の高い能力を食い物にする職場を率先して選んできた。「自分は無価値である」という証拠を現実化するために。



この事を指摘するかのように、音声の中で斎藤一人さんが話している部分があった。

親の期待に応えようとしすぎた子どもは、自分に価値がないと思い込んでしまうのだそう。
だから「良い人」であることを自分の価値にしようとするのだとか。

そうやって「良い人」でいようとし過ぎるあまり、自分自身を追い詰めてしまう。
音声で例に出ていた女性は、体調が悪くなったのに血液検査などは一切異常なし。それは「良い人」でいようとし過ぎた結果なんだとさ。

この音声を聞いて、私は「クソババア」を連呼した。

そういえば、過去に親や周囲の求める「良い人」象を捨てて破天荒なことをした時、決まって人生は上向いた。

嫌なことは嫌だと言って良い。
むしろ言った方が人生良くなっていく。それを思い出した。