何故書くのか?

友人の歌うたいさんの言葉が心に刺さった。

「わたしはこの声でやりたいことがあったんだ」。

そうだ。わたしも文章で、言葉でやりたいことがあったんだ。

多分、だから子どもの時に文章を書き始めた。

自分の中では、文章でいずれ食べていくことになるだろうというのは《予感》を通り越して《当たり前》にやってくる未来だった。

やがて来るその未来のためなのか、文字の起こり・成り立ちや音の秘密、言葉についてやたらマニアックなことまで強い興味を持っていた。



言葉はイメージを伝える媒体でしかない。

そして数あるイメージを凝結させて言葉になる。

「どこを凝結させるか」はそのままその人が「普段何を見て考えているか」が反映される。

お客さんと時間をかけて交渉したのに買って貰えず帰してしまった時。
「売上を逃した」と考えるか「時間を取って貰ったのに申し訳ない」と考えるか。

誰よりも一生懸命働く人に対して
「何も言わなくてもやってくれるから放置でよい」と考えるか「一生懸命働いてくれてありがたい」と感謝をするのか。

失敗した相手に対して
「何故やった」と責め立てるのか「よく挑戦したね」とほめるのか。

どう思うのかはそのまま、普段何を考えているかが顕れる。



何を普段から「イメージ」するのか。
何を普段から「意・明示」するのか。

そのイメージを伝えるためにわたしは言葉を選んだ。
だから書く。書かなきゃいけない。

これが昔、わたしが選んだ道だ。
そしてあの頃引き寄せた未来が、今に至っている。