境界の人

わたしが自分に対して持っているセルフイメージの一つに「境界の人」というものがある。

境界に生きる人間だと、自分で思っているのだ。

わたしは昭和の末期生まれ。昭和と平成の変わり目に生まれた。

また幼少期を過ごした町は、関東にあるとある県境の町だった。
そして現在暮らす土地もまた、県境にある町だ。

自身を振り返れば、何かと境界に縁がある。

好みを紐解けば、都会よりもむしろ草木が生い茂る自然の山や大地に強い憧れを抱き続けている。
しかしその一方で、パソコンには滅法強い。タイピングやword、Excelといった基本的なスキルは、大抵の人には負けない位強い。

理屈にも滅法強い。思ったことを思うがまま語れば、大抵の場合は理屈が強過ぎて周囲が置いてけぼりを食らう。

しかしその一方で、精神世界に関しても人よりずっと詳しい。感性の世界になるが、その場に清らかな空気が降りたら即座に感じ取れる位、感覚も鋭くなった。

趣味で言えば、お金に強い興味がある。お金さえあれば自由が広がるからではない。興味があるのはむしろ「稼ぎ方」であり、「稼ぐ仕組み」であり、使う方にはあまり興味がない。
けどその一方で、人との繋がりに憧れを持つ。幸いにもわたしの中では「金稼ぎ」と「人を大切にする」は強く繋がっているので、一見すると対極に見える両者は究極的には同じことだと考えている。

生死の境界もさまよった。この辺りをあまり深く語らないのは、聞いた相手にあまり良くない思いをさせてしまう、ただそれだけの理由だ(わたし自身はあまり語ることに抵抗はない)

信仰する神様も、境界を守護する最高神だ。
当時は必死だったが、改めて振り返ればこの神様に守護されたのは必然的だったのかもしれない、と思っている。



夕日は何故美しいのか。それは境界に沈み、境界が際立つからだと聞いた。
境界に生きる。境界で暮らす。境界を行き来する。

「境界に立つ」ということは「両方の世界を知る」ことに他ならない。
片方の世界を知ることで、同時にもう片方の世界を知る。
双方の世界を見ることで見識が広がり、世界観が広がる。

そして同時に境界に立つ、ということは、両者がなければ生きてはいけない、ということ。
両生類が環境の変化に弱いのは、これが一番の理由だ。

そうして境界を意識することはわたしにとってとてつもなく重要なことなのだろう。
今は分からなくても、「境界の人」であり続ける理由が分かる時が、いずれ来るはずだ。