生きていくのに罪悪感は不要

http://muninini.hatenablog.com/entry/2018/12/19/035307

こちらの記事を読んだ。
「罪悪感が主体性を無くした」とあったのが印象的だった。

罪悪感は主体性を無くす。これは自覚こそなくても、きっと誰もが経験として知っている。
なぜなら現代において「罪悪感で相手の行動をコントロールする」というのは日常的に行われていることだからだ。

例えば、職場などでいちいち間違いや悪い所を指摘してくる人。
例えば、自分が不利益を受けたとわざわざクレームを言ってくる客。
ニュースで政府や大企業のミスを取り上げて叩くのだってこれに当たる。

指摘やクレーム自体が悪い訳ではない。
けれどもこれらを受ける時、ほとんどの場合は言った人に「これを言うことで相手を貶めて自分の立場を有利にしてやろう」という下心が潜んでおり、《その下心を満たしたいからいちいち言ってきてる》ということまで含めて、言われた側は感じ取っている。

言われた側が指摘やクレームを不快に感じるのは、何も言われた内容が不快なのではない。この「言うことで自分の立場を有利にしてやろう」という《下心》が不快なのだ。
そしてこの場合、指摘やクレームを言う人が真に目的としているのは「相手との関係において自分を有利にする」、端的に言えば「マウントを取る」こと。

犬などを見ていれば分かるが、マウントを取るなら自分をデカく見せるか相手を押さえつけるかしかない。

この「相手を押さえつける」ためによく使われるのが《罪悪感》だ。

「あなたは私に対してこんな罪を犯しましたよね。それなのに私に対してそんな態度を取るのですか?もっとその罪を反省する姿勢を私に示さないと。そんな態度で私に許して貰えると、本当に思ってるのですか?」

多少大げさだが、罪悪感を利用したがる人が言いたいのはつまりそういうこと。

「罪は悪いもの。
あなたはその罪を私に対して犯した。
だからあなたは私といるときは罪人として振る舞わねばならない」

罪悪感を利用する心理には、そんな三段論法が潜む。
そしてこの三段論法に捕まると主体性を失うのは当然だ。「罪人」なのだもの。偉そうにしてはいけないし、反省し続けなければならない。そんな「have to」を押し付けられる。



ならばどうすれば良いのか?
答えは極めて単純で、「相手の指摘【だけ】を受け取る」ようにすれば良い。

職場などで「こんなミスをしてた」と言われれば「すみません、次から気をつけます」。そう返せば良い。

相手の指摘に返事をするというのは「あなたの言葉・存在を受け止めましたよ」というメッセージになる。
これは、相手の《罪悪感を利用してやろう》という考えに沿って言うならば「罪を認めました」ということ。
そして次は同じミスをしないようにすることが「罪を償う」ことに当たる、と思っている。



ミスを指摘されたら、
返事をすること=罪を認める
指摘を改善する=罪を償う
ということになるのだ。

これは言われた側の理屈ではなく、言った側の理屈に沿っているので、改善さえしてしまえば相手は何も言えなくなる。

償った罪を咎められる理由はない。だから罪悪感だって消える。責められる理由が消えるからだ。
しかもこれは《言った側の理屈》なので、言われた側からすれば対応してやる必要がない場合もあるように思う。

「本来なら対応する必要がないのにわざわざ対応してやった」という事実は、逆に相手に恩を売ることに繋がる。
恩のある相手に感謝の気持ちを持つのが人間だ。
この恩を何度も無視して更に罪悪感でマウントを取ろうとしてくるなら、それはもう人間ではなくケモノなのでまともに取り合う必要はないだろう。



結論だけ言うならば「罪悪感など持つ必要はない」。
罪悪感というのは「相手が押し付けたいもの」であって、受け取ったところで何も良いことはないのだから。