極める。突き抜ける。
ツイッターで先日、みっちさんを見つけた。思わずフォローした。
その発信の中で、投資のテクニカルはいくつものチャートを覚えるよりも、たったひとつの指標を覚えてそれを徹底的に極めた方が速く成長する、とあった。
あれもこれも、と手を出すよりも、たったひとつの「型」をまず身に付ける。
この考えを自分の文章に当てはめてみた。
わたしが書く文章はどうだろうか。
正直に言って、わたしの文章に「型」はない。
ずっと独学で書き、学んできて身に付けてきたからだ。
小説を書いていた時は、小説に必要な「型」を学び、実践してきた。
今なら「読み手を意識する」ことを前提にブログ、という場を使っていることになる。
が、この「読み手を意識する」。ただこれだけを極めようとする、というのは、みっちさんの「ひとつの指標を極めろ」とは違う気がする。
次元が違う気がするが、恐らくは抽象度の次元が違うのだろう。
「ひとつの指標を極める」というのは、具体的な部分を徹底して突き詰めろ、と言っているように聞こえる。
一方で「読み手を意識する」というのは、いささか抽象的に見える。
だからいざ書いたとき、具体的な部分で方向性が分からず迷ってしまうのだろう。
それはこれまで繰り返してきた失敗に通じるものがあるように思う。
ならば、文章を書くにあたっての「ひとつの指標を極める」というのはどういうことなのか。
文章の「型」をひとつ決め、テーマを決めてその内容を徹底して書いていく。そういうことだろうか。
自分の分野を徹底して絞る。
ニッチを狙う。
ひとつのことを突き詰める。
これまで幾度となく学んできたことなのに、そういえばあまり実践してこなかったことのように思う。
これがひとつ、自分に向けられた方向性なのかもしれない。そう思った。